もう私にはやりがいの無い仕事は出来ない…。
2001年7月8日私は生きる為の手段として仕事してます。
でも、仕事にやりがいを見つけてしまったから、それにプラスアルファしておこう。
野球みてえなあチクショー。
おはようございます、エアコンの無い部屋でパソコンと苦楽を共にするカラスマですよチクショー。
もー近頃、仕事の話しかしてない気がする。
仕事しかしてないから仕方がないのか。
最近、仕事への考え方が変わってきた。
もう学生の頃と全く違う。
以前ははっきり言って「こづかい稼ぎ」くらいにしか考えてなかった。
どんだけ適当に働いても、やる気がなくても、結果が残せなくても、必ず給料は入ってきていた。
そしてその金額に不満を言い、待遇に不満を言い、仕事に金銭以外のモノを求めていなかった。
しかし、今の仕事に就いて考えが驚くほど変化していった。
最初は「金の為に」働いていた訳で。(今もそれには変わりがないのだが…。)
働き出して二ヵ月。
結果が残せず、悔しくて悔しくてたまらない日々が何週間も続く。
教えられた事が出来ない自分がいる。
以前の自分だったら、結果が残せなくても「まあいいか…」で済ませていた。
「仕事が出来ようが出来まいが、給料は入るのだから」という、今の自分からは信じられないくらい甘い考えがあったのだ。
この気持ちに変化が訪れたのは、二回目の給料明細を手にした時だった。
金額にして十数万。
正直言って、焦った。
「こんなに貰えるほど仕事してねえよ」という気持ちがあったのだ。
始めてもらった時には抱かなかったのに。
以前の私だったら「まあ、こんなもんか。あんだけ時間潰したんだから」くらいに思っておしまいだったろう。
しかし今回は違った。そういう気持ちを粒ほどにも思わなかったのだ。
労働の報酬として金銭を手に入れるのだから、この金額はまぎれもない私の収入である。
現実問題として、私は十数万の金銭を手に入れたのだから。
でも私は、その額面を目にした時、本当に申し訳ない気持ちになった。
「こんなに仕事が出来ないのに、こんなに貰ってしまった」
そういう気持ちしか浮かばなかった。
給料を貰って、こんな辛い気持ちになったのは初めてだった。
やる気の度合いから言ったら、十数万でも少ない位なのだが、実際に仕事として残した結果で言ったら、5万が精々だろうと思った。
そのくらい、自分の中で「労働の報酬を手にした時の達成感」がなかったのだ。
悲しかった。
こんなに悲しい思いをしたのは久しぶりだった。
自分が仕事の考え方に対して、ここまで真剣になったのは初めてかもしれない。
もっと仕事を覚えて、労働能力と報酬が見合うようになりたいと心から思った。
だいたい、仕事も一人前に出来ないくせに、給料が少ないだのなんだのと、不満をいう方がおかしいのかも知れない。
そういう愚痴は仕事を覚えてから!出来るようになってから!
じゃないと、ちっとも説得力がないよ!
でも、過剰労働はちょっと勘弁ですが。(笑)
けれど、本当に考えが変わったなあ。
前は、友達にも仕事先の不満しか言ってなかったのに、この前なんか新しい仕事を教えてもらった事を、目を輝かせながら話したもんなあ…。
新しい仕事ってのは、それまでのステップを確実にこなせるようになってないと、絶対に教えてくれないものなので、新しい仕事を教えてもらうってのは、「こいつになら次の仕事を教えても大丈夫」と太鼓判を押して貰えた訳で!
いやーもー本当に嬉しかった。
自分が認められたという感じがしてねえ。
頑張ろうという励みになったよ。
なんか自分がとっても、仕事人間のようになってますが、そういうよりかは「仕事にハマっている」と言った方が正しいのかも。
面白いよ、仕事。
真剣にやってみるとさ。
余談ですが、仕事先で自分と全く同じ価値観の人間がいるって素晴らしいです。
ましてやそれが上司だったら最高ですね。
私は今日、そんな上司を見つけました。
これも、涙が出るくらい嬉しかった。
そういう意味で得るモンが多い日でした。
でも、仕事にやりがいを見つけてしまったから、それにプラスアルファしておこう。
野球みてえなあチクショー。
おはようございます、エアコンの無い部屋でパソコンと苦楽を共にするカラスマですよチクショー。
もー近頃、仕事の話しかしてない気がする。
仕事しかしてないから仕方がないのか。
最近、仕事への考え方が変わってきた。
もう学生の頃と全く違う。
以前ははっきり言って「こづかい稼ぎ」くらいにしか考えてなかった。
どんだけ適当に働いても、やる気がなくても、結果が残せなくても、必ず給料は入ってきていた。
そしてその金額に不満を言い、待遇に不満を言い、仕事に金銭以外のモノを求めていなかった。
しかし、今の仕事に就いて考えが驚くほど変化していった。
最初は「金の為に」働いていた訳で。(今もそれには変わりがないのだが…。)
働き出して二ヵ月。
結果が残せず、悔しくて悔しくてたまらない日々が何週間も続く。
教えられた事が出来ない自分がいる。
以前の自分だったら、結果が残せなくても「まあいいか…」で済ませていた。
「仕事が出来ようが出来まいが、給料は入るのだから」という、今の自分からは信じられないくらい甘い考えがあったのだ。
この気持ちに変化が訪れたのは、二回目の給料明細を手にした時だった。
金額にして十数万。
正直言って、焦った。
「こんなに貰えるほど仕事してねえよ」という気持ちがあったのだ。
始めてもらった時には抱かなかったのに。
以前の私だったら「まあ、こんなもんか。あんだけ時間潰したんだから」くらいに思っておしまいだったろう。
しかし今回は違った。そういう気持ちを粒ほどにも思わなかったのだ。
労働の報酬として金銭を手に入れるのだから、この金額はまぎれもない私の収入である。
現実問題として、私は十数万の金銭を手に入れたのだから。
でも私は、その額面を目にした時、本当に申し訳ない気持ちになった。
「こんなに仕事が出来ないのに、こんなに貰ってしまった」
そういう気持ちしか浮かばなかった。
給料を貰って、こんな辛い気持ちになったのは初めてだった。
やる気の度合いから言ったら、十数万でも少ない位なのだが、実際に仕事として残した結果で言ったら、5万が精々だろうと思った。
そのくらい、自分の中で「労働の報酬を手にした時の達成感」がなかったのだ。
悲しかった。
こんなに悲しい思いをしたのは久しぶりだった。
自分が仕事の考え方に対して、ここまで真剣になったのは初めてかもしれない。
もっと仕事を覚えて、労働能力と報酬が見合うようになりたいと心から思った。
だいたい、仕事も一人前に出来ないくせに、給料が少ないだのなんだのと、不満をいう方がおかしいのかも知れない。
そういう愚痴は仕事を覚えてから!出来るようになってから!
じゃないと、ちっとも説得力がないよ!
でも、過剰労働はちょっと勘弁ですが。(笑)
けれど、本当に考えが変わったなあ。
前は、友達にも仕事先の不満しか言ってなかったのに、この前なんか新しい仕事を教えてもらった事を、目を輝かせながら話したもんなあ…。
新しい仕事ってのは、それまでのステップを確実にこなせるようになってないと、絶対に教えてくれないものなので、新しい仕事を教えてもらうってのは、「こいつになら次の仕事を教えても大丈夫」と太鼓判を押して貰えた訳で!
いやーもー本当に嬉しかった。
自分が認められたという感じがしてねえ。
頑張ろうという励みになったよ。
なんか自分がとっても、仕事人間のようになってますが、そういうよりかは「仕事にハマっている」と言った方が正しいのかも。
面白いよ、仕事。
真剣にやってみるとさ。
余談ですが、仕事先で自分と全く同じ価値観の人間がいるって素晴らしいです。
ましてやそれが上司だったら最高ですね。
私は今日、そんな上司を見つけました。
これも、涙が出るくらい嬉しかった。
そういう意味で得るモンが多い日でした。
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